※以下では多大なネタバレを含むため未視聴の方はブラウザバック推奨。
「齋 開化」が自殺したい理由、自殺法を認めてもらいたい理由が明らかに
引用:バビロン7話
齋は、「心臓に病を患った息子がいて、その息子のために自殺して心臓を移植したい」という目的があったが、自殺により与えられた臓器は法律上「臓器売買」に当たるために臓器移植が叶わないことから、「その法律を変えたい」と思うようになったのが自殺法発案の理由であり、齋 開化が自殺しようとしている理由にもなっている。
齋の主張をまとめると、
「自殺という選択で他の誰かを救うことができるのなら、それも正義と言えるのではないか?そのために自殺を認める自殺法は必要である」というのが齋の主張だ。
引用:バビロン7話
自殺法が認められることで、臓器移植で助かる患者が増えるということだ。
今まで自殺法とは、「自殺も人間に与えられるべき権利である」と考える人間にしかメリットが無かったものであった。
しかし、一般国民にとってメリットと言えるメリットがここで初めて提示されたことになった。これには国民の支持も変わってきそうだ。
自殺法をどんな演説で国民に納得させるのか疑問に思っていたが、この齋の演説には「なるほど…」と言わざるを得なかった。
胸糞を超えた最狂の胸糞展開
引用:バビロン7話
「曲世 愛」の狂気が凄まじい脚本で演出されていたのでその演出ポイントをいくつか分けて考察していく。
演出ポイント①:「視聴中…?」
主人公である正崎に向けて、曲世は一通のメールを送ったわけだが、そのメッセージのリンクに飛ぶと曲世が生配信している画面に移行する。そこで曲世は一言「視聴中…?」と独り言のように話した。
ここでは画面がモニター越しに切り替わり、正崎目線でどう見えているかを演出している。曲世の「視聴中?」という一言はリアタイ感を強める演出に最適であったと考える。よく見ると右下に「1人視聴中」と書かれたテキストが表示され、曲世の目線も右下に向いているところも注目だ。
引用:バビロン7話
演出ポイント②:自分を勇者と例える曲世
これは映像的な演出ではなく、回りくどい言葉の演出であるが、曲世はここで「勇者とは、民衆に誰にも理解されなくとも、たった一人で世界を救う勇者」のお話をするのだが、これは勇者を自分に例えているものであると考えられる。
曲世にしてみれば、これまでに曲世自身が行ってきた所業全ては、世界のためを思ってしていることであると。しかしそれは到底世間には理解されない思想だ。それはそうだ。誰が人を自殺に追い込むことが正義と言えよう。
だが、曲世にとってはそれが正義であり、それが世界を救うのだと本気で考えているのだ。
曲世の主張はただ一つ、『「悪」というものに向き合い「悪」とは何かを真剣に考えてほしい』ということだ。
ここで曲世によるお話がもう少し続く。「それ以上に素晴らしいことがある。それは勇者の夢や気持ちが民衆に理解されること。それが一番素晴らしいことだ。」と発言する。これは、正崎に対して自分の考え(「悪」に関する認識)を理解してほしいという意味を込めて例え話をしているのだと思われる。
曲世が過度に執着している正崎に対して、自分を理解してほしいと願うのは当然っちゃ当然なんですがその思想が思想なだけに一切可愛げが無いですよね笑(顔立ちはめっちゃかわいいんだが…)
演出ポイント③:肌に点線を描く曲世
引用:バビロン7話
私は、この肌に点線(切り取り線)を肌に描いているシーンにゾッとした。ただ肌色の上に点線を描くように表現されているのではなく、肌に点線を描いた時のプニッとした感触が映像からでもわかるように表現されており、まさしく今生肌にこの切り取り線が描かれているのだと考えただけで身の毛がよだってしまった。
演出ポイント④:「良いこと」「悪いこと」の対比
曲世がこんなことを問いかける。
■「犬好きと猫好きは決して相容れないものなのだろうか?」
そこで曲世は、この命題に対して否定をする。
■「いや、互いを理解し合えばその魅力が相手にきっと伝わる。」
正崎と曲世の違いとは「良いことが好き」なのか「悪いことが好き」なのか。根本的な違いはそれだけであり、お互いの「良い」と「悪い」の理解を深める必要があると話す。
この時「良いこと」と「悪いこと」の対比が見られるわけであるが、映像では以下のように表現されていた。
隙間のある壁に光を照らした静止画。これは「良いこと」を示している。
一方この画像は「良いこと」を示す画像とは対極的に壁の隙間から覗いたアングルで「悪いこと」を暗示している。
壁で表現した意図としては、壁を光で照らした際に「明るい所」、「暗い所」ができてしまうように、 「良いこと」、「悪いこと」も表裏一体に繋がっているのだということを伝えたいのだと考える。
「良いこと」が善であることを前提として、暗に「悪いことが好き」な者を「悪」であると決めつけ否定するのでは無く、
確実に存在してしまう「悪いことが好き」な者の思想も理解し、目を向けなければならない。
この画像からはそう暗示しているように筆者は思えた。
演出ポイント⑤:レシートカット
引用:バビロン7話
曲世が斧を振りかざす手前に一瞬表示されたこのカット。これは素直にシャレた演出やなあと関心して見ていました。なんかこのカットが入ることで、現実感が増したような気がしないでも無いです。
また、このカットの前に筒井刑事のポケットからレシートが見つかったという伏線が貼られており、それをここで回収して繋げているという演出面にも注目だ。
演出ポイント⑥:テレビ規制すらフル活用
引用:バビロン7話
これから瀬黒の体を切り刻んでいく曲世であるが、そんなグロ描写をテレビ放送ではできるはずもなく当然ながら直接的な描写をしないように表現するしかないのです。そこでアニメーション制作会社REVOROOTは素晴らしい仕事をしてくれました。
直接的に描くとグロテスクな描写部分を、何気ない日常のカットに差し替えることで、間接的にグロ描写を表現して見せたのです。匠ですねぇ
これにより、テレビ規制をクリアすると共に狂気じみた演出になっているのです。(※これはアニメ「エヴァンゲリヲン」や「ダンガンロンパ」等の絶望的なシーンでそのシーンに決して相容れないような明るい曲調をあえて流す手法と似たような類の演出ではないかと考えられる。)
・切られた腕をソーセージに差し替え
引用:バビロン7話
・吹き出た血をハンバーグにかかったケチャップに差し替え
引用:バビロン7話
・生首を海苔でかたどられた顔に差し替え
引用:バビロン7話
感想
自分、久しぶりにアニメで興奮した気がする。もちろん性的な意味の興奮ではないです。この作品があまり有名でないのが不思議でならない。みんな見ようね。この7話をきっかけにSNS上で拡散されて有名になってくれればいいのだけれど…
てか次の回である8話が一ヶ月後ってマ?そんなに摩天楼。年越してからも数話やるってことよな。まぁどこまでもついていきますわ。
ってことでこのへんで終わり。
フィギュア
コメント
人は簡単には理解できないものに対して無視を決め込んだり、理解を諦めて排除しようとします。それに対して理解されない側は理解してほしいといくら言っても無駄な場合が多いです。
これは理解されない側は往々にして力を持っていないことが多いからだと思います。実際曲世が謎パワーを持ってなければ一蹴されて終わりです。
では力を持っている場合どうなるのか?
大抵の場合理解されない人間が力を持っている場合、力を以って他人を「わからせ」ますが、それに対して曲世はわかって欲しい、考えて欲しいと、相手に理解を強要するという手段を取っています。
これは非常に人間的ですし、今までの人生あまり理解されることが無かった境遇が背景にあると考えると非常にエモな訴えでもあります。
彼女は「悪役」ではなく「そういう生き物」であることをしっかりと認識させる演出だったと感じます。もっと盛り上がって欲しいですね、バビロン